109. 神聖で値打ちのあるものになる 

■例文 ゲーテ 「若きウェルテルの悩み」
 ロッテの眼があれの顔、頬、上着のボタン、外套の襟に注がれたのかと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく神聖で値打ちのあるものになるんだ
 ロッテの眼があれの顔、頬、上着のボタン、外套の襟に注がれたのかと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく清潔なものになるんだ

■違い
 「神聖で値打ちのあるものになる」のほうが、高貴なまなざしという感じ。
 一方、「清潔なものになる」は、健気なまなざしという感じ。
 目が合うだけで嬉しくなるというのはわかる。そして、顔や頬が神聖になるというところまでは、なんとなく感覚的にわかる。満月の夜の散歩に、月影が、眉や鼻筋を照らして流れていくときのように、どこか洗われる感じがある。
 言おうかどうか迷ったのだけど、昨日たくさんの応援のしるしをいただいたので、勝手な恩義を感じてしまってここに開陳するのだけど、じつは昨日のゼミで、彼女は、自分が自己紹介をするときに、ずっとぼくの方を見ていた。ぼくの席は、彼女からみて左前の地点にあって、顔を傾けないとぼくの方を見れないはずなのに、それでもずうっとぼくの目を見て、自己紹介をしていた。 そして、全く関係ないのに、ぼくの名前と出身地に触れてくれた。ぼくは嬉しさに一種のめまいを感じながらも、最後まで彼女の目をしっかり見て、表情も豊かにして聞くように努めた。ぼくに好意があると思ったからだ。うぬぼれもほどほどにしろ、そう思われるだろう。しかしぼくはここで提起したい。男というものはいつだって、女の行為に恋慕のしるしを読み取ってきたのだし、そうあるべきである、と。毎朝神社にお参りしてきた甲斐があった。もしなにか、大きな展開があれば、ひっそりと公開する。