6. そんな空気のかたまりを身のうちに感じながら

■例文
 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。そんな空気のかたまりを身のうちに感じながら18歳の春を送っていた
 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。そんな感じを胸に抱きながら18歳の春を送っていた

■違い
 「空気」という言葉は、「感じ」という言葉から連想されるギリギリの物体だと思う。具体的な事物を連想できる言葉は、より深みが出る。「空気」という言葉は、透明なのに重い感じがする。そして、いつも身の回りに当たり前に存在している。目に見えない当たり前の存在として自分を包んでいるのに、それを意識してみるとたちまち重みをまして圧迫してくる。つまり、「そんな空気のかたまりを身のうちに感じながら18歳の春を送っていた」という言葉には、「死と生が背中合わせだということを意識してしまうとちょっと心が重くなる」という脱力感が、プラスされているように思う。
 この言い回しをどういうときに使えるか?「そんな感じがする」「そんな雰囲気がする」「そんな匂いがする」「そんな気配がする」の進化バージョンとして、「そんな空気のかたまりを身のうちに感じる」という言葉が位置づけられるのだとすれば、会話のときには例えば次のように使える。「ちょっとうまく言葉にできんのんじゃけど、僕はそういうような空気のかたまりを身のうちに感じて、なんともいえない気持ちがしたんです」。「空気」とすると、かっこつけすぎかなあ、「雰囲気」とかのほうがいいかも。空気という表現はほんとにギリギリだ、冷気とか煙霧とかだったら臭すぎる。
 今日は、村上春樹の「ノルウェイの森」を参考にした。p54とp55から。春樹先生ごめん。