分析方法の変更2

この記事は、自分の考えを整理するだけの記事なので、見る価値はないです。





言い回しを分類することにした。
今までたくさんの言い回しを集めてきたけど、いざ使おうと思って見返すときに、たくさんあってめんどくさい。
そこで、整理することにした。
「公的な言い回し」であるかどうかを基準に、整理する。



「公的な言い回し」とは、偉い人にインタビューするときに違和感なく受け入れられるであろう言い回しのこと。
高級な場面で使う上級表現、って感じ。



「公的な言い回し」であるなら、「公的」というタグをつける。



これ以下は、完全にメモ書き。
分類された言い回しを活用する際には、以下の適用表を参照する。
言葉数、キザ度、場所の3つで分類する。
以下、詳細。

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■多言
 ▲私的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 雑談
    【キザ&サッパリ】 堅い雑談(飲み屋の議論とか)
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 メール、交換日記
    【キザ&サッパリ】 手紙、堅いメール、mixi日記
    【   キザ   】 日記、自己分析
 ▲公的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 座談会、面接
    【キザ&サッパリ】 ゼミの議論
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 ブログ、ES
    【キザ&サッパリ】 読書・映画・新聞・談話のエッセイ、記事、ゼミのレジュメ、会社の論述試験
    【   キザ   】 大学の論述試験

■一言
 ▲私的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 雑談
    【キザ&サッパリ】 堅い雑談(飲み屋の議論とか)
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 メール、交換日記、mixi・ブログ・youtubeのコメント
    【キザ&サッパリ】 手紙、堅いメール、mixi日記、twitter
    【   キザ   】 日記、自己分析
 ▲公的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 面接、勉強会、定例会、インタビュー
    【キザ&サッパリ】 ゼミの議論
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 ブログ、ES
    【キザ&サッパリ】 読書・映画・新聞・談話のエッセイ、記事、ゼミのレジュメ、会社の論述試験、レジュメの感想文
    【   キザ   】 大学の論述試験

                                                                                                                                • -

以上。



次に、上から順に番号をつける。
そして、象徴する言葉をつける。

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■多言
 ▲私的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 雑談 ①雑談
    【キザ&サッパリ】 堅い雑談(飲み屋の議論とか) ②飲み
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 メール、交換日記 ③メール
    【キザ&サッパリ】 手紙、堅いメール、mixi日記 ④mixi
    【   キザ   】 日記、自己分析 ⑤日記
 ▲公的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 座談会、面接 ⑥座談
    【キザ&サッパリ】 ゼミの議論 ⑦議論
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 ブログ、ES ⑧ブログ
    【キザ&サッパリ】 読書・映画・新聞・談話のエッセイ、記事、ゼミのレジュメ、会社の論述試験 ⑨レジュメ
    【   キザ   】 大学の論述試験 ⑩論述

■一言
 ▲私的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 雑談 ①雑談
    【キザ&サッパリ】 堅い雑談(飲み屋の議論とか) ②飲み
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 メール、交換日記、mixi・ブログ・youtubeのコメント ⑪返信
    【キザ&サッパリ】 手紙、堅いメール、mixi日記、twitter ⑫twitter
    【   キザ   】 日記、自己分析 ⑤日記
 ▲公的
  ・話し言葉
    【  サッパリ  】 面接、勉強会、定例会、インタビュー ⑬取材
    【キザ&サッパリ】 ゼミの議論 ⑦議論
    【   キザ   】 
  ・書き言葉
    【  サッパリ  】 ブログ、ES ⑧ブログ
    【キザ&サッパリ】 読書・映画・新聞・談話のエッセイ、記事、ゼミのレジュメ、会社の論述試験、レジュメの感想文 ⑮エッセイ
    【   キザ   】 大学の論述試験 ⑩論述

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以上。



■今まで集めた言い回しを使うときの手順は?
まず、どのような場面で、使いたいかを確認する(飲み屋の雑談なのか、ゼミの議論なのか)。
次に、その場面が「公的」に属するのかどうかを確認する(飲み屋の雑談は私的な場だけど、ゼミの議論は公的な場)。
最後に、「公的」に属する場合は、ブログのカテゴリー欄の「公的」をクリックする。
例えば、ゼミのレジュメをつくるときは、上の適用表にあるゼミのレジュメというところを見ると「公的」に属していると確認できるので、「公的な言い回し」集を使える。


■公的な言い回しとは?
「公的な言い回し」とは、偉い人にインタビューするときに違和感なく受け入れられるであろう言い回しのこと。
ぼくは特に、キザな言い回しを収集するきらいがあるらしい。しかし残念ながら、キザな言い回しは、実際の場で使えないことが多い「私的な言い回し」である。その理由はあとで示す。
ビジネスシーンで使えるような、ある種よそよそしいような言い回しを使えるようにならないといけない。



■公的な言い回しばかりを集めるのは、面白くないのでは?
そもそも、「公的な言い回し」ばかりを集めるわけではない。
「いいな」と思う言い回しを大量に集めているうちに、大量のキザな言い回しの集積の上に降り積もるひとかけらのホコリとして、「公的な言い回し」が現れてくる。
だから、キザな言葉を集めることはやめないので、面白いよ十分。
「言い回しの型」というべき代物も、たまに付着してくる。

■言い回しを分類しようと思った理由は?
理由は、2つある。
1つ目は、今まで集めてきた言い回しを使おうと思ったときに、分類してあった方が便利だから。
2つ目は、言い回しの収集・分析の作業をしているときに、その言い回しが将来どういう場面で力を発揮するのかを、常に意識しておきたいから。

■一番鍛えたいところ
エッセイ」の領域。



■一番鍛えないといけないところ
取材」の領域。



■一番鍛えるところ
雑談」の領域を特に鍛えることで、他の領域を鍛える。


■「取材」の領域を鍛えないといけないのなら、「取材」の領域で使える言い回しだけを大量に集めればいいのでは?「雑談」を鍛えるのは非効率では?
砂金を集めるときは、大量の土を網の上にばら撒いてフリフリするじゃん。


エッセイ
自分の考えを深める力、を鍛える必要がある。



取材
相手の考えを整理する力、を鍛える必要がある。



雑談
言い回しをたくさん蓄える必要がある。


■思想度
雑談取材エッセイ



■整理度
雑談エッセイ取材



■言い回し度
エッセイ取材雑談


■このブログで主にやること
言い回し度を高める。
上にも書いたけど、「雑談」の領域を鍛えることで、他の領域を鍛えるやり方でいく。

■相手の考えを整理する力はどうやって鍛えるの?
3つの方法でやる。
1つは、言い回しの収集。これは上に書いた。
2つは、言い回しの分析。これもブログでやる。
3つは、エッセイを書くこと。これはブログではやらない。
エッセイ」では、メモをもとにインタビューを書き起こしたり、本のあらすじをまとめたりする作業がある。何かほかのものをまとめる実践の中で、相手の考えを整理する力がつく。


■自分の考えを深める力はどうやって鍛えるの?
本を読むことを中心に鍛える。
それをより効果的にするための手段として、「エッセイ」でまとめたものに対してのエッセイを書いたり、twitterに書いたり。


■情緒的レトリックが好きなのではないか?鍛えなくていいのか?
好き。使えるところは、twitterとかmixiだけだけど。
twitterをやっていれば、すこしは鍛えることができる。あとは日常を丁寧に過ごすことが一番の近道。自己失存のないように。

■公的な言い回しを集めようと思った理由は?
公のものを論じるときは、公的な人格を自分の内に確立しないといけないと思うから。
演技しないといけない。
藁人形みたいに演技して、それが攻撃されたとしても、本体にはノーダメージであるということがメリット。
ノーダメージだから、感情的になることもない。
目標は、昔の軍人のように、清貧で明るくてハキハキと物を話すような人間。三島由紀夫みたいな。


■キザってどういう意味?
キザな言葉とは、小難しい言葉や、情緒的レトリック、難解な語彙、偉そうな言葉などのこと。
キザな言葉は、嫌われる。
なぜなら、自分に酔っていると見なされるから。
ではなぜ、自分に酔っている人間は、相手に嫌な気持ちをさせてしまうのか?
その理由は3つある。
1つは、キザな人間は、他人のことを見ていないと思われがちだから。人は、自分の感じていることにふさわしい言葉を他人が使ってくれたときに、「よーわかってくれたね!」と快感を感じて、「自分を見てくれた!」と感じる。この共感の論理が、あらゆる日常会話の満足に適用されている。キザな人間は、よくわからない言葉を使っているので、今自分の感じていることにふさわしい言葉を使ってくれていない。こいつは、自分のことを見てくれていない人間なんだ、こいつ嫌だー、ということになる。
自分のことを見てくれない人間に不快感を感じる理由はよくわからないけど、ここでは仮に哲学者アーレントの言い分を聞いてみると、人間は公共空間の中で、他人に見られたり議論をする中で、客観性を獲得して、それは人間の本性に関わる一大事なのだから、他人に無視されることは大きな不快感を生じるのである。
キザな言葉が嫌われる理由の2つ目。
キザな言葉を使う人間は、偉そうだから。自分を下に見られることに人間は苦痛を感じる。ホッブスの言い分を借りれば、人間の本性はプライドを保持することである。
それに、偉そうな人の表現は、面白みにかける。どんなに偉そうにしたって、表現の値打ちはさがりこそするけど、あがることはない。やっぱり自我を排除して表現しないといけないと思う。謙虚にやって、人間の価値が下がるということは決してない。
そして、キザな言葉が嫌われる理由の3つ目。
これが一番大きな理由。
それは、キザな言葉は、うまくやれば物事の本質を突きとめることもあるが、たいがい話の本道から著しく脱線するから。
会話の本質は、「物事の本質を突きとめる」ことにあるが、キザな言葉は、本質の追及をさまたげる。
その理由を以下に示す。
人が、心に存在するある「感じ」を言葉にするとき、その霧のような「感じ」を特定して、四角い形にボコッと抜き出して、現実にもってくる。それが言葉の仕事である。したがって、富士山の朝靄をみて感じた感動を言葉にして、現実にすべらせた瞬間から、すでにその感動は不完全のものである。この感動を十分に伝えるには、どうすればいいか。それは自我を排除しなければならない。とくに日本にあっては、俳句や短歌にみられるように、なるべく自分の感情を排除して、風景を客観的に描写していく中で、感動が浮き出てくることが確認される。ただし西洋のゲーテロマン主義者のように、ああ!愛すべき富士よ!的なやり方で感情を直接もってくるやり方もないではないけど、あれは西洋の特定の歴史的時点で、その言葉なりが美的感覚を特定できると感じてしまう人間の心の仕組みが、当時の社会的諸関係に規定されていたせいである。今の日本はどうやら事情が違うらしいと言いたい。したがって、感情をたそがれ風味で表現したキザな言葉は、感情のありかを容易にわからせてしまって、奥行きがないので、美的感覚を浮き上がらせるようなまねはできないので、物事の本質を突き止められないといえるので、人に不快な感情を起こさせる。
ことにキザな言葉の中で、比喩と、難解な語彙は、やっかいな言葉である。
たしかに比喩には、論理的な説明を端折って本質をズバッと伝える力がある。
また、難しい語彙には、あらゆる意味や連想のヒントが凝縮されてあるので、絵を眺めるように楽しめる。
しかし、冗長で不適切な比喩や、難しい語彙を多用することは、逆に本質から遠のくことが多い。卓抜した言語感覚や、詩的快感を味わう力がないと、キザな言葉は操縦しにくい代物である。「はやく本題に入ってくれよ」という感情や「また意味のわからないこと言ってむかつくな」という感情を起こさせる。
したがって、キザな言葉というのは、知性的ににも成熟して、人格的にも高徳になるまで、使うべきでない。
だからといって今、キザな言葉を唾棄することはしない。訓練すれば、若い年齢のうちでも、キザな言葉と、平凡な言葉との平衡をとることができるはずだから。上級の言語感覚をもつ人間の放つ言葉には、力がある。高い自己を目指して、キザというそしりを受けてもなおかつ、訓練したい。
そういうわけで、ごくたまにキザな言い回しを混ぜることがある。キザとサッパリの往復運動を繰り広げるという意味で、キザ&サッパリ。

■「多言」と「一言」ってなに?
「多言」は、たくさんしゃべれる場面。
「一言」は、自分の考えをまとめて即座に簡潔なコメントをしたり、気づきの与えられる短いコメントをしなければならない場面。

■「雑談」は、「多言」と「一言」のどちらにもあるようだけど?
恋愛相談のときのような、自分が一方的に長々と話すことも雑談なので、「雑談」には多言も入る。
だけど、ぼくは基本的に、人と話さないし、話したとしても10秒以上は話せないから、基本的には、一言の雑談力、を追い求めることになる。
ぼくは、「クール」「静かなる闘志」「デスノートのL」と評価されるような暗さがある。こうした気質をもったぼくが取るべき手段は、会話においてモグラ叩きの運動を繰り広げることである。すなわち、短刀を懐からキラリと見せるように、密度の濃いコメントをパッと出して、すぐさま穴に引っ込むということだ。
10秒以内にコメントをする。他の人が応答する。すぐさま黙る。という具合である。
無理にたくさんしゃべるより、自分の気質に合わせて、一言をより先鋭化していくほうがいい。

■「他言」と「一言」がずいぶんかぶっているようだけど?
うるさいなー。
多言でも一言でもどっちでもいい場面は、よくある。


■言い回しの収集・分析をして、最終的にどうなりたいのか?
わからない。
だけど、この方向で正しい気がする。野球選手が毎日素振りをするように、寿司屋が毎日包丁を研ぐように、ぼくも基礎を磨きたい。
夏目漱石とかトーマスマンの文体が好きだから、彼のようになりたい。もちろん作家になるわけではない。


■言い回しの収集・分析をして、意見が言えないなどの引け目は直るのか?
もちろんそれだけでは不十分。
「思想度」と、「整理度」、この2つを同時に高めつつ、技術的な側面であるところの「言い回しの蓄積」を高めることができれば、意見を言えないという引け目は、きっと直る。
意見を発するということができるには、仔細な現状認識の過程で気づきを得られるかどうかということが鍵だと思う。状況の様子たんたん言葉にして描写していくことができるかどうか、それには、思想の深みと言葉の技術がいるし、あれとこれをくっつける整理の力もいる。
そして、言い回しを使って例文をつくったり、分析をする過程でも力がつくはず。


■言い回しの型はどうなったのか?
もちろんやる。
ただしあれは時間がかかる。一応言葉だけ集めている。時期を見て徐々に分析する。

■春休みがあと半月だけど?
人間は太陽と死を直視することができない。春休みが死ぬことは直視できない。春は過ぎやすく若き日はさらに短い。