96. 音楽の恐ろしい休止のように 

■例文 三島由紀夫 「金閣寺
 いつぞや、金閣を見て田舎に帰ってから、その細部と全体とが、音楽のような照応をもってひびき出したのと比べると、今、私の聴いているのは、完全な静止、完全な無音であった。金閣は、音楽の恐ろしい休止のように、鳴り響く沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである
 いつぞや、金閣を見て田舎に帰ってから、その細部と全体とが、音楽のような照応をもってひびき出したのと比べると、今、私の聴いているのは、完全な静止、完全な無音であった。金閣は、音楽における無音の演奏のように、鳴り響く沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである

■違い
 「音楽の恐ろしい休止のように」のほうが、不気味な停止の感じがよく出ている。なぜなら、「音楽」のように、常に動いているもの、を停止させたときに出るギャップは、不気味だから。
 「無音の演奏」だと、まだ動いている。楽器でガチャガチャやっている姿が思い浮かぶ。ギャップなし。
 芸術の中でも、動いているものは、「音楽」、「ダンス、「演劇」、「映画」、「アニメ」などだけで、あとは静止しているものばかり。
 ぼくは 「ダンス」や「演劇」を見ないから、今日のやり方を使えない。だから、しょうがなく、静止している芸術を使って、今日の例文を真似てみる。
 「ちーちゃんの行動には、詩文の不格好な行間のように、推し量ってくれと言いたげな作為があった」、「ちーちゃんの突然の沈黙は、言葉のない絵本の絵ずらのように、静止だけで訴えてきた」。