99. 笑いが含まれている

■例文 三島由紀夫 「美と共同体と東大闘争」
 彼らは、私を見て笑っていた。その雰囲気自体から私はすでにこの会合には、笑いが含まれているということに気がついた。少なくとも人は笑いながら闘うことはできない
 彼らは、私を見て笑っていた。その雰囲気自体から私はすでにこの会合には、いい加減な気分が瀰漫しているということに気がついた。少なくとも人は笑いながら闘うことはできない

■違い
 先日、僕の母校が甲子園に出場させていただくことになったので、見学に行った。試合前のボール回しの時点で、ファーストやサードはポロポロとボールを落としていた。 そして、そのボールを笑いながら取りに行っていた。 僕はそれに違和感を感じた。この違和感をうまく表現する材料を提供してくれたのが、今日の例文。
 今日の例文は、「会合に、〜が含まれている」という型である。普通なら、「彼らは笑っていた→会合にいい加減な気分があった」というふうに展開して書くところを、あえて表面の様子だけを記述して「彼らは笑っていた→会合に笑いが含まれている」としていて、主観が入っていない。ここに面白味を感じた。
 なぜ面白いか考えてみる。
 読んでいると、まず、「笑いが含まれているということは、どういうことなのだろうか?」とモヤモヤした心境になる。かすかになる。そのときに、「人は笑いながら闘うことはできない」という一文を見ることで、「感じていた違和感をうまく表現してくれてありがとう!」という知的快楽が来るから、面白味を感じたのだと思う。
 ちなみに、笑いの定義について、カントは、「緊張の緩和からくる」と言った。三島由紀夫もこの立場だと思われる。